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属和音〜主和音の奥深い世界 4

4. さらに高度な分析のために

 

 さて、ここまでお読みいただき、少し和声に興味を持ってもらえたでしょうか。おさ丸、おな爺、サマランは、実を明かせば「興味づけ」のための手段でしかなく、それだけで全ての和声が解釈できるわけではありません。それどころか、フレーズの収まり方なんて、練習する度に違ってはいけないのか、とお叱りを受けて当然なのです。練習の段階ではむしろ、収まるべきところでサマランなども試しに弾いて、変だと思える体験も必要と思います。

 これまでは、扱う曲もある程度分かり易いものに限ることで、解釈が体験しやすくなるよう考えてきました。ここからの曲は、感じ方が少し複雑になります。

 ★以下の曲も、子どもがよく弾く曲ですが、さすがシューマンレベルの作品になってくると、おさ丸やおな爺では手に負えなくなってきます。

シューマン「ユーゲント・アルバム」から「兵士の行進」op.68-2

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冒頭から「(お)イッチ2、」「1、2、」「1、2、」「1、2。」と行進するこの曲 には、さまざまなレベルのV → I がでてきます。以前書いた、「その場所が終止であればフレーズの締めくくりになりますし、全くの通りすがりであれば力点を置かないかもしれません」という一文は、この曲にそのまま当てはまります。

 

 3小節目は転回形を使ったごく軽い V → I 。正に通りすがりです。 

 4小節目は基本形同士の V7 → であり3小節よりは重く感じられますが、弱拍終わり(女性終止)の弱めの完全終止であり、4小節目は「一応」おさ丸君を書いておきました。ここはシューマンとしては「弱く感じられて」多少音量的に収まることを許していると思われます。なぜなら「自然の摂理で」弱く弾かれても仕方ないからです。

(なお「実際のおさ丸」は、これまでの曲も全て含めて、必ずしも主和音を弱くする意味だけではありません。例えば弱くしなくても音色を変えるなどして収めることもあります。特にオーケストラ編曲を考えればなるほど!ですね。)

 だからこそ、後半の24小節 Aと32小節Bには、(弱く解釈されては困る)主和音にあえてフォルテを記しているといえます。

  さて 部分に完全終止を持ってきた全6箇所について、解釈上の整理をしていきましょう。

 4、12小節め→恐らくこの2箇所が最も「おさ丸」らしい。その前のV7よりほんの少し弱めるニュアンスも可能でしょう。(おさ丸は義務ではありません。でもおさ丸で弾きたいという人を、シューマンですら止めることは出来ません。)

8、16小節め→こちらは属調での全終止なので、同じ「おさ丸」でも、主調より喜びや期待感があると転調の意図が伝わるでしょう。つまり前半だけで2種類のおさ丸がいます!

★  このように繰り返される主調や属調への全終止は、フレーズを小気味良く切る感覚につながります。シューマン自身が全終止に、足並みを揃えた兵士たちのイメージを重ねていたことをうかがわせます。

24小節め→上にも書きましたが、この I はサマランです。次のフレーズを堂々と始めるにあたり、アウフタクト感覚で弾いてほしい意味でフォルテになっています。

28小節め→ここが最も微妙です。4小節めと同じと考えれば、同じおさ丸ですが、最後の終止へ向けて力を込めたい気持ちもあります。4小節とどうニュアンスを変えるか。おな爺でも良いかも。

32小節め→上にも書きましたが、この もサマランです。堂々と終わりましょう。

 このように何度も来る主和音に、常にいろいろなニュアンスを考えることを要求して来るさすがシューマンです。こうなると、おさ丸、おな爺、サマランなどと単純化できませんね。

シューマン「ユーゲント・アルバム」から「最初の悲しみ」op.68-16 

18小節のV(VII6)→Iは解釈が難しい。小さなフレーズの終わりはおさ丸が可能ですが、その前にcresc.の表示があるため、おさ丸だけでは判断出来ません。クレッシェンドを優先すれば、最後のトニックにはアクセントがつくでしょうし、その前のドミナントがトニックに収まったように弾けば、品の良さが際立つでしょう。しかしおさ丸君の解釈が成り立った場合、クレッシェンドは犠牲になります。考えられるのは、cresc.は23小節までかかっているのではないか…19〜20小節にかけて、「少し遅くする」という指示と、松葉のdecrescendoに少しずつ「妨害」を受けつつも、全体としてはクレッシェンド及びそれが持つエネルギーの息がかかる…。decrescendoの「妨害」はまるで、シューマンの楽想の持つ「陰」の表現のようですね。

 そう考えれば18小節のIはおさ丸君でも間違いではないでしょう。

 この一節は、いろいろなことを投げかけてくれますね。

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