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属和音〜主和音の奥深い世界 1

属和音〜主和音の奥深い世界

 

 

 属和音や属7の和音といえば、誰もがドミナントの機能を思い出すでしょう。すなわちVの和音は主和音へ進行するのが最も自然だし、それをはぐらかす時や他の響きがほしい時には VI の和音へもいける云々。でもこのとらえ方は属和音のとらえ方の一面でしかありません。属和音(属7和音)は、その機能と同時に響きのイメージを捉えることが重要です。

 まずは調性音楽の中で主和音とどのような関係を築いてきたのかを、分かりやすく紐解いていきましょう。

※属和音と書いた場合、系列の和音として属7の和音を含む場合があります。 ※ここに書かれている音楽の「解釈」は、数ある解釈の中の1つとお考えください。ここでは和声による解釈を中心にしていますが、より広い視野に立つことが必要です。それでもこのサイトが、音楽理解に少しでもお役に立てれば嬉しいです。 ★なお、独自研究が含まれています。コピペ禁止とさせていただきます。

1. V I の性質を知ることから

 

調性音楽を捉えるのにまず必要なのは、その曲の中でドミナントがトニックに「どのように」進んでいるかを見ることです。この「どのように」というのが最も重要で、まず、ドミナントがトニックに進む時どのようなバランスで弾けば良いかを考えます。より深い次元では、更に高度なドミナント〜トニックの在り方を学びますが、最初は基本的な曲で入りましょう。

カデンツは周知のように、トニック、ドミナント、サブドミナント(プレドミナント)が鎖状にどこまでもつながり、曲の和声を形成してゆく。周知と申し上げたのは、和声を少しでもかじった人は、必ず触れることだからだ。でも和声では、これがどのように曲の中で応用されているかに触れて来なかったため、多くの人にとって戸惑いがあると思われる。

 ドミナントといえば  V、トニックは I がまず思い出されますが、その2つを組み合わせた V I が、調のある曲の中で最も重要な和音の進行であるということができます。そのことを見る前に、まず個々の和音の性質を思い起こしてみましょう。

 

 I の和音の性質

 安定感のある和音。それは2つの方向性を持つといえます。まず、気持ちが収まった状態であること。落ち着いた状態、そこにいることでホッとした感覚。ベクトルが「心の内側へ」向かおうとしている状態です。

 その反対に「心の外側へ」向かおうとする状態、正々堂々とした感じ方、これから始まる、どこかへ行きたいという期待感、またはこれで終わるという自信に満ちた感覚などなど。

 音楽には感覚が無数に存在するので、I の和音1つをとっても、このような正反対のベクトルが至るところに存在し、の和音によるあらゆる楽想が、いろいろな感じ方を伴って揺れ動いています。

 ただ、I の基本位置が音楽に「不安定感」を与える、ということは、ほぼ無いといえます。

 VV7の和音の性質

 属和音・属7の和音には、動きたくてたまらない、うずうずするような、じっとしていられない性質が元々備わっています。(どのような静的なドミナントでも、「ざわざわした」感触を元々持っています。)

 I の和音にも「動きたい」衝動はありますが、属和音や属7の和音はその衝動が半端でなく大きいもの。そこに宿る力によって、自らトニックを目指します。次にトニックへ進みそのエネルギーが解消されることで、音楽に活力を与えることが出来る和音と言えます。(何故そのような性質を持つかという根拠はここでは割愛。)

   機能のみを意識すると、V が  I に「解決する」ことばかりに目がいきがちですが、まず、V の持つ和音としての「動的な感性」を意識することが大切。V の和音は、それだけで「自ら動きたくてうずうずしている」和音であることを常に感じましょう。

 

例題ブルクミュラー25の練習曲」から最初の5曲に関して、ある共通点を見つけてみましょう。(譜面は簡略化しています。今後もアーティキュレーションは基本的に割愛)

 

譜例1

  1. 素直な心(正直)                                                                              2. アラベスク

図1素直な心_edited.jpg

​ドッペルドミナント
アラベスク_edited.jpg

3. 牧歌                           4. 子どもたちのつどい

3.牧歌edited.jpg

5. 無邪気

4.子どもたちのつどいedited.jpg
5.無邪気edited.jpg

[解説]

ブルクミュラー25の練習曲冒頭5曲にある共通点とは…

 中間部分に当たる「B」が、全て属和音、または属7和音で始まっていることです。曲の始まりが主和音 I で始まるのは分かりますが、なぜ B 部分がドミナントで始まっているのか?理由は2つ。

理由1)ブルクミュラー自身が属(7)和音を動的で、動きたくてたまらない性質を持っているとみなしていたから。もとより、そのように見なしていたのはブルクミュラーだけであるはずは無く、実際 B 冒頭が属和音始まりになるものには、スカルラッティのソナタやバッハの多くの作品 (G線上のアリア、フランス組曲のアルマンド、クラント、ジグの全曲。特に第5番はそれらを含む全楽章) などを始め、古典からロマン派まで無数にあります。属和音始まりが更に発展して、属調始まりになることも多いものです。

理由2)曲の冒頭と明らかに性格を変えるため。これについては後で詳述しますが、和音のトニック的な在り方とドミナント的な在り方とを、明確に区別しているのです。

ここで別の角度から、<1. 素直な心(正直)>を通して少し詳しく「ドミナント」を探ることにしましょう。

 この曲は、A の8小節目が属和音による「半終止」で止まり、そして直後の9小節Bの入りは、属7和音でざわざわと動き出します。ここでは、属和音のみの響きよりも、第7音のある属7和音の方がより重みを伴うものとしています。

 古典音楽でよく使われる半終止とは、第7音を使わずより端正な響きの「属和音」で留まる終止です。それによりフレーズにはまだこの先があるということを示しつつ、終止としてフレーズに一区切りつけます。第7音を使わないことで、えりを正し、心が澄んだ状態で半終止に臨めるのです。それに対し9小節Bの入りは、属7の和音。第7音を使い、半終止と区別しています。第7音と第3音との間に不安定な減5度(増4度)音程ができ、緊張感(導音や第7音の解決を望む強い気持ちに、音程の不安定感が加わることによる)を帯びることで、動きたくてたまらない性質につながりやすくなります。このように、属和音と属7の和音の響きを使い分けていると言えます。よって、Bを属7の和音で始めることにより、ドミナント的在り方を一層強めていると考えられます。

 ただし、属和音より属7和音の方が、必ずしも緊張度の高い訳ではありません。「2.アラベスク」や「3.牧歌」をみてみましょう。「2.アラベスク」のB冒頭は属和音の一転ですが、テンポが速く、第7音が無いことによる突き刺すような緊迫感は尋常でないとさえ言えるでしょう。また「3.牧歌」では属7の緊張度はさほど無く、むしろ属7の響き自体にゆったりとした叙情のようなものを見いだしています。音楽の感じ方には無限の広がりがあり感じ方は多様であることの典型ですが、それでも、「自ら動きたくてうずうずしている」属和音の感性は、これら全ての曲の共通点として認識できる思います。

 さて、属(7)和音に「動きたくてたまらない、じっとしていられない気持ち」を感じたとして、それをどう表現したらよいのでしょうか。そこには各人の解釈の違いが出て来るはずですが、ここでは背景や根拠の無い解釈の「押しつけ」は避けています。私が言えるのは、属和音が出て来たらいつでも、ざわざわした気持ちを感じてほしいということだけです。

 その上で、ドミナントを弾く時にどう表現して行こうか、と考え始めることが解釈の第一歩です。

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